アシスト 作家たちが愛した温泉【3】 谷崎潤一郎の有馬温泉  (松田忠徳 温泉教授)

2011年10月23日 メディア掲載, 陶泉 御所坊

アシストは出版厚生年金基金が発行している情報誌です。 2011年10月号の裏表紙に温泉教授の松田忠徳さんが温泉地の話を掲載されています。

 

有馬は坂の町である。
ところがその坂道が少しも苦にならない。肉体的な苦痛よりも、知的な喜びのほうが勝るようだ。

神戸電鉄有馬温泉駅を出て、太閤通りのゆるやかな上り坂を歩く。やがて太閤秀吉の像が建つゆけむり広場。秀吉の目線の先には、川をはさんでねね(北政所)の像がある。

戦国武将と温泉は密接な関係があった。秀吉はたびたび有馬の湯で養生をしながら、乱世を制した。天正(1580)年正月、三木城を攻略した後、秀吉は憔悴しきった顔で有馬の鉄さび色の湯につかり、丸2晩眠ったという。

太閤通りを登りきると、真正面に創業建久2(1191)年の「陶泉 御所坊」が現れる。有馬を愛した文豪・谷崎潤一郎ゆかり、モダンと懐かしさが混ざり合った木造三階建ての老舗旅館だ。

谷崎は熱海に別荘を持つほど温泉好きだったが、作品では温泉はほとんど描かれていない。例外は有馬である。名作『細雪』や『春琴抄』にも出てくるし、『猫と庄造と二人の女』では「御所坊」の二階二十六の部屋が舞台となる。

「そしたら、又御所坊の二階にしようか。」
「夏より今の方がええで。紅葉見て、温泉に這入って、ゆっくり晩の御飯を食べて、-」
(、『猫と庄造と二人の女』)

「数奇を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に・・・」(『陰翳礼讃』)と書いているように、後年西洋文化から日本の美へ回帰していく文豪の琴線が、古湯有馬。その象徴としての「御所坊」の芳香に共鳴したのだろうか。

有馬のシンボル外湯「金の湯」の鉄さび色の湯につかった。湯上がりに石畳が続く古風な湯本坂を歩く。1300年の歴史を持つという有馬人形筆や千利休が愛用した竹細工「有馬籠」の店などが、若い人を魅了する。

ねがい坂を下り、秋色に染まった有馬山温泉寺や湯泉神社に詣でる。界隈には念仏寺、極楽寺、秀吉の岩風呂遺構「太閤の湯殿館」などもあり、有馬の歴史を正しく伝える一角だが、湯町の賑わいがうそのように静まり返っていた。

(札幌国際大学教授) 松田 忠徳(温泉教授)
1949年生まれ、文学博士、医学博士。旅行作家。札幌国際大学(温泉学)、モンゴル国立医科大教授(温泉医学)も兼任。「温泉教授」の異名で知られる温泉学の第一人者。

 

タグ

Leave a Reply