有馬温泉の歴史と文化

有馬温泉の歴史と地震    400年サイクルで地震が起き、その復興の歴史といえる。

有馬温泉は、400年周期で起こる地震と復興の繰り返しの歴史といえる。

奈良時代に書かれた日本の一番古い書物類の中の風土記、日本書紀、万葉集に有馬温泉は登場する。

攝津風土記では六甲山北方の山中にある松林の中に塩湯が湧いていると書かれている。一説では蘇我馬子(551年~626年)の時代に見つかったと700年代に書かれている。

日本書紀に599年5月28日奈良で地震が起こった記述があり、これが日本で最初の地震の被害の記録である。

舒明天皇が631年9月19日~12月13日に入湯。二回目は638年から翌年1月まで入湯。そして考徳天皇は647年10月11日から大晦日まで入湯したと記録がある。

また記録によれば、701年5月12日、丹波で地震が起こっている。

行基上人が昆陽寺を建立し農民を助けている時に「山奥にある有馬の湯が埋まっている。それを復活しなさい。」という薬師如来のお告げを受ける。そして復興後724年に温泉寺を建立したというのが、現存の温泉寺の縁起伝説である。

その後約350年間有馬温泉は栄える。

1024年10月25日から11月8日まで藤原道長も入湯している。道長の子どもで宇治の平等院鳳凰堂をつくった頼通は1042年に有馬に来ている。

白河法皇は1128年に、1176年後白河法皇と健春門院が来る。後白河法皇の50歳を祝う誕生日のすぐ後の事、平家一門と蜜月の時だった。

しかし建春門院は有馬温泉から帰るとすぐに病の床に付き亡くなってしまう。以後、平清盛との対立があらわになってしまう。

その頃清盛は1170年代、神戸港の改修工事を行った。有馬温泉の温泉寺には清盛の石塔があるが、不思議な事に清盛が有馬に来たという伝説は無い。

しかし白河法皇と後白河法皇が有馬温泉に来た間の1163年、心西入道という僧が温泉寺に法華経を奉納した記録がある。

心西という僧は他の書物に、一切名前が出てこない事や、平家一門は平家の繁栄を祈って厳島神社等多くの神社に経を奉納していることから、清盛が福原の荘園に来て大和田泊の改修を行ったのが1160年代から1170年代なので、心西入道が平清盛だったという説を信じている。

1185年7月9日元暦大地震が起こっている。

この地震の事は鴨長明の方丈記で語られている。壇ノ浦の戦いが同年の4月25日。海の民である平家が突然の海流の変化で源氏に負けてしまう、群発地震による海流の変化によるものかもしれない。

この頃に地震が多発していた事を裏付ける一つとして、1184年2月7日に一の谷の戦いが起こるが、義経は京都から丹波、播磨から小野、三木と遠回りをして駆けつける。有馬を通って三木に出れば近道でなのに、何故このような道を選んだのだろうか?この時期、有馬は群発地震で土砂崩れを起こし道が通れなかった・・・と、考えられる。

1191年、吉野の修験僧、仁西が熊野権現のお告げを聞き、平家の落人や吉野の木地師を連れて、有馬に来て温泉寺を再建する。

行基は日本全体で認知された僧侶だが仁西は有馬以外ではほとんど知られていない。仁西の事をしきりに書いたのは江戸時代の林羅山等だという。

1203年、鎌倉初期の最も教養のある人物と言われた藤原定家や西園寺公径が来訪。鎌倉後期には叡尊がやって来て221人に対して講話をした記録がある。

室町時代には1385年、足利3代将軍義満。1517年、足利10代将軍義稙。1564年、足利13代将軍義輝。戦国時代後半には豊臣秀吉が記録上9回来ている。

1596年9月5日慶長伏見の大地震が起こり、有馬温泉は壊滅的な被害をこうむる。

秀吉の伏見城の天守閣が崩壊し500人が圧死し、京都市内では45.000人が亡くなった。その秀吉が有馬温泉を復興。

慶長伏見の大震災で動いた断層面が高槻有馬構造線だという事が1995年の阪神淡路大震災の調査の際に確定された。

江戸時代に入り平和な時代になると、人々は旅をするようになる。兵庫県下の道端に残っている一番古い道しるべは1650年以降である。

1750年になると旅行ガイドブックが発行され、有馬には多くの人がやって来るようになる。それが有馬千軒といわれた時代。

1839年、緒方洪庵夫妻が入浴に来て、弟子の福沢諭吉も来ている。

1868年1月1日、神戸港が開港する。当時、外国人には遊歩区域が定められており行動が制限されていた。有馬はその区域内にあり、神戸や大阪にやって来た外国人達は、風光明媚で夏場の気温が低い為、避暑地や行楽地として、この地に多く訪れた。

1869年5月にはアメリカ大陸横断鉄道が完成。11月にはスエズ運河が開通する。

ヨーロッパからアメリカ大陸を横断し太平洋を渡って日本へ、そして中国から西回りでスエズ運河を通過してヨーロッパという世界一周ツアーが始まる。

1872年にはそのツアー一行が横浜に来訪、その後神戸にもやって来るようになる。

有馬で一番古いホテルは清水ホテル。現在の有馬山叢御所別墅の場所に在った。

1877年6月4日、神戸三十八番にあった居留地行事局のヘルマン・トロチック行事局長が宿泊した記録がある。

またレイ夫人の世界周遊記にも登場する。イギリス人の富豪レイ夫妻は10ヶ月半の世界一周旅行の途中、神戸から有馬にやってくる。

1882年1月の日記の中で、婦人は「オーストリアのチロルの街に非常に似ていてびっくりした」と記している。昼食をとったのち竹製品をお土産に購入したと書かれてある。

当時、有馬籠等の竹製品は8割から9割が海外に輸出されていたと言われていた。

1895年の文献では清水ホテルの宿泊料金が1円50銭から3円。当時の盛り蕎麦の代金が1銭2厘。大工の日当が54銭。盛り蕎麦を500円とすると宿泊代は125.000円。大工の日当を18.000円とすると10万円。当時も今も国際的なホテルの価格は同じだ。

清水ホテルの他、杉本ホテルや有馬ホテル等、外国人ホテルを利用したのがキリスト教の宣教師たち。家族ぐるみで有馬で会合や伝道活動をさかんに行った。

1872年、アメリカン・ボードの宣教師ディヴィスは元三田藩士の訪問を受ける。

九鬼隆義の意向で遣わされたのだが、元藩士たちはすでに英語を読む事が出来たそうだ。

ディヴィスは新島襄とともに同志社を設立する。このように関西のキリスト系の学校の多くの創始者は有馬に来ている。

1903年、第15回基督教夏季学校が開催され200人以上が参加している。念仏寺と極楽寺が協力するのだが、総本山の知恩院に知れ大変叱られたという話が残っている。

1905年6月には日本で最初のバス会社、有馬自働車株式会社が設立されて、有馬三田間を運行する。炭酸水を利用したサイダー事業やバス会社等が始まったのも、外国人宣教師から西洋文明を学んだからだと推察される。

外国人専用ホテルは、第二次世界大戦を境になくなってしまう。

1947年、有馬町は神戸市と合併。現在の有馬の金泉とよばれる高温泉は、神戸市と協力して、翌年から1955年にかけて掘削開発された結果、天神泉源、御所泉源、妬泉源、有明泉源、極楽泉源から湧き出る事となる。

1964年の東京オリンピック。1970年の大阪万博そして1981年の神戸ポートアイランド博覧会開催という高度成長の時代の流れに乗り、有馬の旅館は鉄筋造り大型化へ向かった。

日本各地で起こった旅館の大型化は館内施設の充実を促し、宿泊客を館外に出さないという結果を生み、温泉街の衰退化を招く事となった。一方、温泉街を活性化させる動きも起こった。有馬でもまちづくりの重要性が論じられ、1987年、有馬町マスタープランを策定し回遊性のあるまちづくりを行う事を決めた。

1995年1月17日阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)が起こった。

大都市直下を震源とする日本で初めての大地震で、震度7の激震を記録した。

余震の分布から淡路島北部の江井崎から伊丹市の中心部に至る約50㎞、深さ約18㎞~5㎞の断層面で起こった事がわかった。

伊丹から宝塚、有馬の断層面が動き有馬温泉でも大きな被害が生じた。官民一体で復興を行い、マスタープランで論じられたまちの回遊性も少し形が見えて来るようになった。

震災後宿泊客が減少した為、復興プランの一つとして、「昼食と温泉」という日帰りプランを多くの旅館が販売。すると旅館での昼食に溢れた人や、昼食の前後の時間を利用して多くの人が温泉街を散策し始めた。

その頃、古い旅館を再生し、泊食分離型の新しいスタイルの宿として「ホテル花小宿」が誕生。これをきっかけに古い建物をリニュアルする動きが、湯本坂という一部の通りを中心に始まった。古い店舗を利用した手焼きの炭酸煎餅店が開店すると、その人だかりを見て、向かいの飲食店が街並みに合わせた改装を行った。こうして、次々に古い街並みがしゃれた佇まいに変わっていった。そして徐々に景観を見直そうという動きが始まった。その動きは有馬温泉街並み条例制定につながった。

また老朽化した神戸市の本温泉を取り壊し、「金の湯」や「銀の湯」の外湯が整備され、ひいては太閤の湯殿館、有馬玩具博物館、有馬切手文化博物館といった文化施設も誕生へと発展していった。その結果、他の温泉地がうらやむほど、有馬の温泉街に活気が戻ってきた。

しかし復興を急ぎ過ぎた為に、根本的な問題が置き去りにされてしまった。町と人と車の関係。また後述するが有馬の温泉の有効活用。大型会員制ホテルの進出による変化。そうした問題を抱えながら、2010年から30代40代の地域の若者を中心にマスタープランの再検討作業を開始した。

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