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伝来・有馬山椒オイル 誕生物語 ~山椒オイルを巡る、あんなことこんなこと~

【 二度ある事は、三度ある! 三度あれば、四度目も・・・? 】

まずは神話の時代の話から――。

大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が山を歩いていると、傷ついた三羽の烏(からす)が水浴びしているのを見かけました。

その水で烏の傷が癒えるのを見、二神は泉を調べてみると、それは薬効のある温泉でした。有馬温泉が世に誕生したのは、こんな逸話からだといわれています。

三羽の烏により発見されたと伝えられる有馬温泉は、日本三古泉のひとつであり、「枕草子」の中にも三名泉のひとつとして紹介されています。

現在、有馬温泉には金泉と銀泉があるのですが、神話の時代からあった温泉は、金泉の方。金泉とは、塩鉄ナトリウム泉を指します。この温泉には、631年9月舒明天皇が湯治に来たと書かれており、豊臣秀吉も何度も有馬の湯に浸っています。

一方、銀泉はというと、比較的新しい存在。かつて“毒水”と忌み嫌われていたものが、明治の初めに二酸化炭素冷鉱泉だとわかり、以後、銀泉の名前をつけて、有馬の二つめの温泉として利用されてきました。

温泉は周知の通り、疲れた身体に効果があります。もし三羽の烏が傷を癒していなければ、発見されなかったかもわからず、さすれば、この発見がひとつめの奇跡といえるわけです。

さらに明治に入って湯山町(今の有馬)の町長・梶木源次郎が杉ヶ谷に湧く毒水を調査させなければ、銀泉は目についていないかもしれません。

そうして考えると、ふたつめの奇跡も、梶木町長がいなければなかったのかもしれません。この二つの出来事があったればこそ、有馬の湯=身体にいい効果という方程式が生まれたともいえるでしょう。

そして三つめは、医食同源を指すなら、むしろ食に関する奇跡――。

こちらは有馬で採れていた山椒に由来するもの。元来、山椒は、香辛料のみならず、薬用にも使われており、漢方では健胃、鎮痛などに効果があるとされています。さらに四川料理で山椒をよく用いるのは、辛さによって起こる発汗作用を期待してのもの。有馬では、周辺が山椒の産地だったこともあり、この薬効を知ってか、湯治客にそれを使った料理を提供し続けてきた歴史があるのです。

特に有馬では、山椒の花、実、葉、皮の4つを食べる習慣が根づいており、こういった事情から有馬といえば、山椒ということになったと思われます。現に有馬山椒は香りがよくて、柔らかだとの評判が鎌倉時代にはすでに出ていたそうです。和食の世界で“有馬”と冠すれば、それは山椒を使った料理を指しており、江戸期には“~の有馬焼き”とか“~の有馬煮”などの名称が生まれていました。

仮りに有馬=薬効を示すなら、温泉以外でもそのことが証明されるわけで、山椒を使った料理を湯治客に出したことが三つ目の奇跡と呼んでも不思議ではありません。例えば、有馬温泉を“奇跡”という言葉で表すなら、金泉、銀泉に加え、山椒の料理も“医”や“健康”の面ではひとつの奇跡を表しているのです。

そして平成の御世になってもうひとつの奇跡が頭をもたげようとしています。それは有馬焼きのアレンジ版。山椒風味を醸し出す山椒オイルは、まさに万能調味料。これが世に出ることで、“有馬”と冠した料理は、さらにバリエーションアップすることと思います。

よく「二度あることは、三度ある」といいます。金泉、銀泉とは形が異なる山椒料理を三度目の奇跡とするなら、もしや四度目があったとておかしくはないでしょう。「二度あることは三度ある」のフレーズを使うなら、「三度あったことは、四度目もある?!」。その奇跡が「伝来・有馬山椒オイル」の可能性といえるかもしれません。

【 神戸では、東西の食文化が道を隔てて存在した 】

さて、ここからは巷の噂話…。神戸が脚光を浴びたのは、幕末に開港してから。外国と結んだ条約では、長崎、横浜に次いで神戸も国際港として開くようになっていました。

歴史の教科書を読むと、それらは同時に開港したように思えますが、実は神戸だけは開港時期が王政復古の大号令と重なったために長崎、横浜より9年も遅れて開かれていたのです。しかし、遅れた分メリットもあり、両地域の居留地の経験をいかして合理的な都市計画が行われています。

J・W・ハートが設計した神戸居留地は、歩道と車道を分離させていたり、街路樹やガス灯が立ち並んでいたりするなど今と同じような造りだったと聞きます。西洋人住区が居留地なら、清(中国)の人が住んでいたのがその西側にある町。

これは日本と清とが通商条約を結んでいなかったためで、清国人(中国人)が外国人居留地には入れなかったという理由から。仕方なしに彼らは、居留地の西側に住む場所を見つけ、居を構えました。それが現在の南京町です。

こうして考えると、西洋文化と中国文化は道ひとつ隔てて存在していたわけで、道を挟んで互いに情報が行き来していたと考えられます。それに明治33年(1899)には、居留地が日本に返還されており、これを境に互いの文化は、行き来が増えたと考えるのが普通でしょう。

ところで神戸の華僑は、開港時に10人余りの清国人(中国人)が長崎からランタンを持って来たのがルーツだといわれています。そして彼ら華僑は、菜刀(料理)、剪刀(仕立て)、剃刀(理髪)の、いわゆる三刀業に就くのが常でした。

中でも菜刀に就いた中国人は、確実に神戸の中華料理を育んでいます。その彼らが香辛料として用いる山椒が、道を隔てた居留地に渡り、そこに建っていた「オリエンタルホテル」などの西洋料理に影響を与えなかったと誰が言えるでしょう。

そもそも四川料理には、唐辛子や山椒を使って辛みをつける手法が当たり前のようにあります。古くから中華料理のコックは、自店で使うラー油を自分で作るのが当たり前となっていたように、中国山椒を使った山椒オイルを作る習慣も根づいていました。ましてや時代は開花期で、色んなものが入り乱れ、あらゆるエッセンスが混合された頃でもありました。もしや西洋料理のコックが、面白半分に山椒オイルを使って料理をしていた――。そんな話は記述にはありませんが、あったとしても不思議ではありません。それほど自由な発想を明治期の人達は持っていたといえるでしょう。

【 中国人の情報をヒントに山椒油がおみみえ 】

もし有馬温泉に、“有馬洋食”なる食文化が芽生えていたとしたら、それは和食同様に山椒を使ったものだったかもしれません。

江戸期には“有馬”と冠した料理が登場していたように、戦前まで有馬に存在していた外国人専用ホテルの「杉本ホテル」や「清水ホテル」の人達もそこに目をつけていたでしょう。

当然、明治期から大正期には西洋人のみならず、中国の人達もたくさんやって来ており、東と西の食文化を融合させた何かが、この地で生まれていたに違いありません。「杉本ホテル」で、神戸牛の干し肉が作られていたように、山椒を入れたオイルが用いられたのではないでしょうか。

中国の要人が訪れた話で、最も有名なのが蒋介石の婚約エピソード。昭和の初め(1927年)、蒋介石は宋美齢を訪ねて有馬温泉まで来ています。彼は有馬ホテルに泊まっていた宋美齢の母・倪桂珍に結婚の許しをもらおうと訪れたのです。蒋介石の思惑通りに、事が進み、結婚の許しを得るのですが、倪桂珍が足を治すのに泊っていたと同じように、中国人の間でも当時から有馬温泉の湯治効果があることは十分知られていました。蒋介石のような要人までもが気軽に訪れたとのエピソードがあるくらいですから、外国人にも有馬の湯は人気が高かったと推察されます。

話が長くなりました。肝心の“有馬洋食”の話に戻しましょう。油と縁が薄かった和食と違って、洋食も中華も油とは切っても切れない関係にあります。有馬温泉にあった外国人専用ホテルの料理人達は、山椒油(オイル)なるものが存在することは知っていたでしょう。

ただでさえ、有馬焼とか有馬煮のように“有馬”と冠した料理には、決まって山椒が用いられていた事実があるので、山椒油(オイル)を使って炒めることをすでに思いついていたのでしょう。そして南京町から来た中国人に山椒油(オイル)の作り方を習い、「オリエンタルホテル」など西洋料理の担い手より、洋食を伝授してもらう。

こうして山椒油(オイル)を駆使した“有馬洋食”が芽生えた――。

こんなことが当時の背景からも読み取れます。噂や言い伝えの域は脱しませんが、山椒オイルなる調味料が、明治から昭和の初めあたりに存在し、それで炒めた料理が外国人客の舌を魅了していた。そう思いながら「史伝・有馬山椒オイル」のストーリーを展開いきたいと考えています。

【 すでに外国人専用ホテルで、山椒オイルが使われていた・・・? 】

明治期から戦前にかけて有馬温泉には、外国人専用ホテルが何軒かありました。

「杉本ホテル」「清水ホテル」「増田ホテル」がその代表で、ある記述によると、香港や上海から外国人が雲仙を見物した後に、有馬に来て、大変な賑わいを見せたとあります。

「増田ホテル」では、ある時期、客を収容しきれないので、近くの「キングジョージホテル」を3年間契約で借り、外国人観光客向けに経営したことも書かれています。

また、英国人のアリス・メアリー・レイ夫人は、夫とともに世界一周旅行に出かけ、その旅の途中で有馬温泉を訪れています。明治15年1月5日の朝に、「ヒョーゴホテル」(現在の神戸郵船ビルの場所に建っていた)を立ち、友人夫妻と人力車に乗り、4時間かけて有馬へ到着したそうです。そして「清水ホテル」(現在の有馬山叢 御所別墅)で昼食を摂り、竹細工などを買い求めています。

こんな記述を見ても有馬には“和”の食文化だけではなく、彼女ら西洋人を愉しませる洋の食文化があったように思えるのです。

現に「杉本ホテル」の女主人・杉本ヨネさんは、流暢な英語で接待していたそうで、西洋人に向けてか、料理も神戸牛を寒風で晒して作る干し肉を提供していたそうです。干し肉と記しましたが、これはまさにビーフジャーキーのようなもの。この干し肉が示すように、有馬温泉には、神戸並みの外国の食文化が入っていたことがわかります。これを突き詰めていくと、“有馬洋食”なるものに行き当たる可能性もあります。ということは、当時の有馬温泉では神戸とはちょっぴり違った洋の食文化があったとも思えるのです。

【 伝来・有馬温泉オイル」で、幻の有馬洋食が蘇る!! 】

ところで有馬温泉では、平成14年(2002)に有馬サイダーの復活を果たしました。これは、銀泉が“毒水”ではなく、二酸化炭素冷鉱泉だとわかり、それを用いて明治期にガス入りミネラルウォーターやサイダーが量産されていたことに起因しています。

言いかえれば、有馬温泉は、日本のサイダーの発祥地で、明治から大正にかけて「有馬シャンペンサイダー」や「鼓シトロン」など色んなサイダーが製造されている事実が、文献などで見られます。

その隆盛を誇っていた有馬のサイダーが大手メーカーの波にもまれ、長い間消えていました。それを炭酸せんべいに次ぐ土産物として復活させようとの動きが2000年に入ったあたりから始まったのです。そして合資会社 有馬八助商店が、昔懐かしい味をと、復刻させたのが、「ありまサイダー・てっぽう水」なのです。「ありまサイダー」は、かつての歴史をふまえてイメージングしたためか、世間でも話題になり、またたく間に評判は広がりました。おまけにこのヒットにより、世に地サイダーブームを巻き起こしたくらいです。

その「ありまサイダー」に続けとばかりに、今度は町を挙げてプロデュースしたのが、「伝来・有馬山椒オイル」です。

この山椒オイルは、有馬温泉・B級グルメ「金麺」「銀麺」の発案とともに商品化されました。

和食の世界で“有馬”と冠すると、山椒を使った料理を指すように、新名物となるB級グルメにも山椒の風味をいかしたいと考えたわけです。

新名物焼きそば「金麺」「銀麺」とも、「史伝・有馬山椒オイル」を鉄板に敷き、具材を入れて炒めたもの。山椒オイルは、加熱することで風味を増す特徴があるので、できあがった焼きそば(金麺、銀麺)は、山椒の香りがし、山椒ならではの独特の味わいが加味されます。

辛さはオイルなのでそんなに強くありません(あらかじめオイルの中に実山椒や葉山椒を入れておくと、辛さは強調されます)が、食べていくうちにじわっと山椒の辛さが追いかけてくるようになっています。その特徴ある味わいが味噌味の「金麺」や塩味の「銀麺」にフィットし、有馬温泉らしいB級グルメ感を醸し出しているのです。

「伝来・有馬山椒オイル」は、その名からもわかるように、油の中に山椒の味を閉じ込めたもの。

調味オイル専門のメーカーに依頼し、山椒の風味を十分発揮できるようにと、植物オイルに山椒の粉末を加えて、じっくり加熱しながら造ってもらいました。

オイル自体に山椒の味や香りが入っているので、その油で炒めたりするだけで、料理に山椒の味わいがつきます。「伝来・有馬山椒オイル」は、何も焼きそばの調理の際だけに用いるのではなく、和洋中と、あらゆる料理に使うことが可能。例えば、炒める時の油として用い、その風味をいかすもよし、サラダ油やラードなどであらかじめ炒めたものに、最後の仕上げとしても用いるのもよしと、オリーブオイルのような感覚で調理時に使用することができるのも特徴。さらに茹でたパスタの風味づけにも使えます。

そもそも山椒オイルは、四川料理のコック達が使っていたもの。前述のように彼らは自店でそれを作り、調理の際に用いていました。そんな情報を知っていても家庭では、同じようにすることもままならず、その手法さえもわからないまま今日に至っていたのです。それが「伝来・有馬山椒オイル」なら、店で出される四川料理のように調理するのも簡単。これ一本あれば、家庭料理の幅も十分広がります。

今回、有馬温泉旅館組合を販売元に、新たなお土産物として「伝来・有馬山椒オイル」を発売しましたが、土産物の範疇にとどまることなく、できればこれを駆使しながら飲食店での料理を幅広く開発していきたいと考えました。

歴史を紐解けば、明治から戦前までは有馬温泉に外国人専用ホテルが何軒か存在し、その宿泊施設で独自のもてなしを行っていたようです。

前述の文章からもわかるように、中国人が山椒油(オイル)のエッセンスを持ち込み、「オリエンタルホテル」などに泊まった外国人や、神戸に駐留する西洋人に向けて“有馬洋食”とも呼べるような、有馬ならではの西洋料理を提供していた――。そんなことを想像しつつ、「伝来・有馬山椒オイル」を使って洋食(西洋料理)を創作していきたいと考えています。

“神戸洋食”なるジャンルがあります。これは国際港として開かれた神戸にふさわしい西洋料理を指します。

ただ“神戸洋食”が他所との洋食と違うのは、煮込み料理に特色を持っていること。神戸の洋食は、外国船に乗っていたコック達が伝えました。船中で働いていた彼らが、いつしか陸に上がり、店を構えて得意とした料理を披露し始めたのが始まりです。

船内で働くコックは、船の揺れを考慮して、できれば揚げるようなものはあまりせず、波の影響が少ない煮込みを多用していたと聞いています。だから“神戸洋食”は、ビーフシチューなど煮込んだものが目立つのです。

一方、有馬温泉では、山椒オイルを用いて炒めたり、その風味を効果的に使っていたので、焼き物が中心。その焼いたものでも、ピリリとした山椒の味が目立つように調味します。蒋介石やレイ夫人らが、食べたかもしれない(?)

“有馬洋食”が「伝来・有馬山椒オイル」ができたことで、復活(!?)すれば、面白いと考えております。

「山椒は小粒でもピリリと辛い!」という言葉があるように「伝来・有馬山椒オイル」は「オイルは、オイルでもちょっぴり辛い!!」。そんなフレーズをつけて覚えてもらいたい商品です。

神戸牛、但馬牛などのステーキに、明石の魚介類を焼く際に、そして地の野菜を炒める時にと、色んな調理シーンで「史伝・有馬山椒オイル」が、その存在価値を示していけば、“有馬洋食”の復活(!?)も果たされる事と考えています。

有馬山椒オイルは、御所坊関係では有馬食堂・陶泉 御所坊の売店で販売しています。 1.200円

お問い合わせ 078-904-*0551

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