ハンブルグ浮世絵コレクション展
葛飾北斎 「馬尽 有馬産」を見てみる
京都相国寺で開かれているハンブルグ浮世絵コレクション展に葛飾北斎が有馬温泉の土産物を描いているという情報が寄せられた。
図録を行って・見て・買ってきた
北斎というと江戸末期。この時代の有馬のお土産に和鋏と日本カミソリが描かれている。
有馬の土産物に刃物があったのは初めて知った。
まあ北斎が有馬の土産物を描いていたということ自体が初めて知った。
有馬温泉の西方に刃物で有名な三木の街がある。
西国街道の拠点であり、湯山街道ともいい有馬とは縁が深い。だから三木産の刃物を当時土産物として販売していたのだろうか? と想像した。
そこでまず「三木市立金物資料館」に問い合せをした。
対応して頂いた女性から興味深い事を聞いた。刃物の包装紙だろうか奉書には文殊 四角作と読める。
“文殊”とは組合名で“四郎”とは、スエーデンのスタル鋼を使える株を持っているしるしだという。
・・・でもスタル鋼で検索するとドイツ語の“鋼”シュータルから来た言葉で、明治・大正・昭和のはじめに作られたという。
でも北斎がこの絵を描いたのは1822年の事。まだ明治には程遠い。
この頃に輸入していたのだろうか?
疑問が深まった。「もっと詳しい人は?」という事で、三木で1765年から刃物の卸問屋を営んでいるという「黒田清右衛門商店」さんを紹介してもらった。
さっそく電話をかけて御主人にお話しを伺った。
“文殊”とは大阪の刃物問屋の仲間で高級な刃物を扱う名称だったそうだ。
それは上部に書かれている“一”と菊の紋章で、最高の品と書いてあるといえる。
この頃、江戸では火事が多く三木の刃物を作っている組合のセールスマンは遠くまで刃物を売りに行っていたという。
御主人の話を聞いているうちに三木ではなくて大阪の堺の刃物ではないかと思ってきた。
現在でも三木は大工道具などの刃物類が多い。一方堺は調理師が使う包丁などが有名。
また御主人は「和鋏というのも実は輸入品ではないか?という説がある」といわれた。
というのは、羊の毛を刈る鋏は和鋏と同じ形状をしている。
インターネットで羊毛を刈る鋏を調べると確かにそうだ。
今は、ここに描かれている鋏は堺の物ではないだろうか?
そして北斎は有馬に来て描いたのではなく、誰かに有馬の名物を取り寄せさせたので、大阪の鋏が混ざったのではないだろうか?
と思った。
次は大阪の堺の刃物について調べてみようと思う。
吉高屋の主人からメールを頂いた。
情報ありがとうございます。
先日の北斎の浮世絵の件は、藤井さんに早速見てもらいお話を聞きました。
添付古地図右下の方に「カチヤ丁」とある。
摂津名所図会(寛政8年版1796、寛政10年版1798)でも
湯女、有馬筆、人形筆とともに有馬鍛冶として紹介されている。
庖丁、小刀、裁切(ツマキリ)、刀子(トウス、鞘の付いた小刀)など作っていた。
北斎(宝暦10年1760~嘉永2年1849)は実際には恐らく有馬には来ていなくて
依頼されて描いたのだろう。
シーボルトの依頼で挿絵を描いたりもしている。
人形筆など想像で描いたのではないか。
下に敷いてある織物は琉球っぽい。紙袋は描かれている裁切(ツマキリ)のパッケージか。
平賀源内(1728~1779)は物産学(博物学?)に通じ、各地の物産展を何度も開いたりしており
確たることは言えないが、北斎がその筋の情報・資料を元にしたのかもしれない。
今の所、私は鋏は大阪のモノではないかと思っている。そしてたしかに人形筆の柄が有馬にはない柄なので、北斎は有馬以外の地で想像で描いたものだと思っている。