2015年ミラノで万博が開催されるという。イタリアの番組制作会社が、かつて万博が開催された地域の人たちが万博によってその後の人生に大きな影響を受けた人を探しているという話があった。
大阪万博と言うと・・・やっぱり太陽の塔が印象に残っている。
確か亡くなったグリコのおまけのおもちゃのデザイナーで知られる加藤裕三さんが太陽の塔の建設現場でアルバイトをしていた。吉田光男さん著の「カトウくんのおまけ」を開いてみた。
1968年~1973年は世界中で体制に反対する動きが起きていた。文化大革命、パリの5月革命、黒人解放運動、東大の安田講堂事件。
加藤さんはある日高所の足場から、夕焼けの西空と大阪の市街地の遠景に向かって豪快にオシッコを飛ばした。
「高度成長も、学生運動も、万博も、俺とは関係ないぞ! でもいまは、ともかく、これがしたかったのだ!」
シラケ世代と呼ばれていた時代には珍しい若者だった。
先日お客様から岡本太郎さんの事を書いた本を頂いた。
太陽の塔は完成当時「牛乳瓶のお化け」「日本の恥辱」ともいわれたそうだ。塔の裏側に黒い色の顔があるのをご存じだろうか?
表は赤い顔の上に黄金の顔がある。これは未来や繁栄を表しており、裏側の黒い顔は原爆や公害の負の部分を表している。この時代スモッグ、ヘドロ等の公害問題が起こっていた。
そしてこの塔は男性のシンボルを表しているという。まさしく加藤さんは天性の勘でオシッコを飛ばしたのだろう。
有馬温泉は建設ラッシュだった。そして現在の様なビル街の温泉街が誕生した。
毎日のように団体客が入り木造旅館の御所坊も毎日が忙しかった。僕は高校1年生で、食器洗いのアルバイトをして、貸本屋でマンガを借りて釣り用の折りたたみ椅子を持って万博に毎週のように出かけた。
外国人をたくさん見た最初だった。外国人のお姉ちゃんは、こんなに綺麗のか!
またポパイのマンガで見たウィンピーが食べているハンバーガーというのはこの
ような食べ物だったのか!
コカコーラ―の凍ったフローズンコーラーに衝撃を受けた。
海外に対するあこがれが起こった。
月の石を見て、着陸船を見て、このようなペラペラのモノで月に行けたのか!
また綿貫先生は、僕の生まれた年にポルトガルに渡り、万博のポルトガル館をプロデュースする為に初めて帰国された。
人類の進歩と調和・・・かつてパリ万博でフランス人に家紋や浮世絵が衝撃を与えたように日本の若者にとっては大航海時代の幕開けだった。
モーニングショーでヒュウゴの不思議な発明がアカデミーショーの有力候補だと報じていた。今は行きすぎたIT社会に対してアナログが求められるようになってきたのではないだろうか?
イタリアはとITは結び付かないが、モノづくりの国。官能や感性豊かな国だと思う。現在は経済的にヨーロッパで遅れている国かもしれないが、新しいアナログの時代には世界を牽引するのではないかと思う。