・・・・というキャッチフレーズに引かれ「ヒューゴの不思議な発明」の試写会に行ってきました。
そして誰よりも早く、この映画を見たかった。それはオートマタと呼ばれるからくり人形が重要な役割を演ずるという。また世界的な経済不況や大きな自然災害に襲われた状況下にどの様なメッセージを我々に届けようとしているのか否かが二つの大きな理由だです。?
阪神淡路大震災後、グリコキャラメルのおまけのおもちゃのデザイナーの加藤裕三さんと世界的なからくり人形作家の西田明夫さんと三人で世界的に通じる、おもちゃを見せる、つくる、販売をして有馬温泉を何世代にもわたって愛してもらう温泉地をつくろうと計画し、有馬玩具博物館をつくりました。一番の売りがオートマタ、からくり人形です。世界的なコレクションだと密かに自負しています。是非ご覧頂きたいと思います。
映画の広報チラシを見ると銀色の顔をしたオートマタが出てきます。胴体の部分は中の歯車がむき出しで見えている。この様にオートマタの魅力の一つは人形が動く仕組みを見える事にあります。最近の子供たちの玩具というとコンピューターゲームが主流でしょ?
ところがコンピューターゲームはブラックボックス化されていて中身が見えない。どうして動くのか動く仕組みがわからない。わからないと子供たちは考える事を止めてしまうといいいます。
さらにコンピューターゲームでは簡単に人が死んだり生き返ったりする。人間の感情すら無くしてしまうのではないでしょうか?
?これではいけないと考えたのがイギリス。
小学生の高学年から中学生に紙製のオートマタをつくらせてモノの動く仕組みや考え方を教えているそうです。そのイギリスの紙製のオートマタは有馬玩具博物館のミュージアムショップで1.000円ぐらいで販売しています。
本物のオートマタは非常に高価な為に学校教材で使う事が出来ません。高価な理由の一つにつくれる作家が非常に少ない。それはモノを動かすという理数的な頭と楽しませるというアート的な感性と両方の頭脳を持っている人しかつくれないからです。
映画監督も同様の能力が必要だと思います。巨匠と称されるマーティン・スコセッシ監督の初の3D作品を“オートマタ”というキーワードを頭に入れで鑑賞しました。
そもそもオートマタがつくられるきっかけになったのは時計職人が技術を生かしてつくった。映画では時計塔の裏側のシーンがよく出てきました。つまり時計を動かす為のたくさんのギアの中で主人公のヒューゴは生活していた。そういう環境で育ったから玩具屋のおじいさんから壊れたネズミのおもちゃの修理を依頼されるが簡単にやってのけ認められたのです。
ドイツのシュコ社のミニカーでこのネズミの原理と同じおもちゃがあります。この様にオートマタという視点で映画を見てたのですが、だんだん映画界の最初の監督といわれるメリエスがどのようにして映画を撮っていったのかに興味が移りました。
太陽光のもとで映画を撮影する為にガラス張りのスタジオをつくり、セットを組んでいたのです。創造力に富んだ人々が集まり観客を驚かす映画をつくっている様子が描かれていました。カラー作品はモノクロのフイルムに一コマ一コマ色を塗ってつくられた。映画は喝采を浴びて人気を博するが第一次世界大戦がはじまり映画どころではなくなってしまう。そこで映画のフイルムを溶かしハイヒールの底の部分に作り変えられる。そうして得た僅かの金でメリエスは駅舎の中で玩具屋を営んでいるという設定でした。実は本物のメリエスも晩年パリの駅で玩具を営んでいたそうです。
価値観が変わり過去の栄光を亡霊と称して生活している所にヒューゴが現れた。
最初は拒否をするが全て無くなっていたと思っていた作品が偶然一つ見つかり心を開き始める、そして修理されたオートマタがきっかけでメリエスは過去の亡霊を払拭させるという物語だった。
その見つかった作品が「月世界旅行」。今見ると新鮮です。面白い。
成熟化社会とは一見相反するものを同時に許容するといいます。都市の利便性と農村の自然。東洋的なモノと西洋的なモノ。最先端技術とアナログ。コンピューターの詳細なデーターと人間の英知ではわからないモノ・・・・
まさしくこの映画は温故知新。最先端技術で昔の映画の手法を取り入れる事で新鮮さを演出し、舞台となった第一次世界大戦後のパリの駅の状況を現代のインターネット社会に置き換えて、忘れていた何かを取り戻そうと訴えているように思いました。それがかつて見ていた夢である。オートマタはからくり人形と訳しているが少し違う。それと同様、夢はドリームであり日本語の夢とは違う。どちらかというと目的や目標に近い。
オートマタは何か人に伝える目的を持ってつくられている。動かないとその目的が伝えられない。その為に修理をする・・・
「世界は幸せにあふれている 必要なのはちょっとした修理だけ」。そう皆はそれぞれ夢や目的を持っていたはずだ。それを取り戻せば幸せは、たくさん幸せはまわりに満ち溢れているのが見える。
映画を見る人々にはそれぞれ夢や目的が有ったはずだ。私自身にも置き換えると、有馬玩具博物館は加藤・西田という世界の的な作家を病気で亡くしてしまい「夢」をなくしていたが、玩具を核にして何世代にも愛される有馬温泉をつくる目的に向かって再び歩みだそうと思いました。マーティン・スコセッシ監督に「修理をありがとう!」と言いたい。
・・・是非、皆様がたもご覧ください。そして本物のオートマタをご覧になりに有馬玩具博物館にお越し下さい。