日本の麺類の双璧“うどん”と“蕎麦”それぞれの地域性があって大阪や香川で蕎麦は似合わないし、東京や信州でうどんは似合わないと思うのは私だけでしょうか?
?有馬温泉では蕎麦・うどん どちらが似合うのか!?
うどんを広めたのは弘法大師(774年~835年)と言われています。ところが有馬温泉の近くの再度山や甲山等に弘法大師のゆかりの地はあるのですが、有馬温泉には弘法大師の足跡がありません。先輩の行基(668年~749年)が開いた有馬温泉に遠慮したのかもしれません。
有馬温泉のゆかりの人物というと真っ先に上がるのが豊臣秀吉。その秀吉が大阪城を築き始めたのが1584年。砂場と呼ばれる資材置き場に労働者が手早く食事ができるように、うどん屋や蕎麦屋が出来ました。これが開業の始まりと言われています。蕎麦屋の御三家のひとつ“砂場”はここから誕生といいます。(詳しくは大阪おうどんの会のサイトをご覧ください)
兵庫県の蕎麦文化と有馬温泉 御所坊の蕎麦のルーツ
兵庫県で蕎麦というと真っ先に浮かぶのは出石。お国替えで信州上田の殿様と一緒にやってきたそば職人がそば切りの技法を伝えたのが1706年といわれています。今では30余軒の蕎麦屋があります。
出石のまちづくりをコンサルティングしたのが宮西悠司さんで、昭和62年に有馬温泉のマスタープランをまとめたのも宮西さんです。いわば私のまちづくりの師匠です。
そこで御所坊で蕎麦を始めようと考え、宮西さんを通じて出石の“まともな”修業先を紹介してもらいました。
それが『そば庄』の川原千尋さんです。現在、出石皿そば協同組合の理事長をされています。ここに御所坊の総調理長の川上和成が通い教えて頂いたのです。
出石皿そば『そば庄』川原千尋さんの弟子たちと蕎麦の展開
御所坊の河上から始まり、小代の藤村さん(温泉保養館おじろん内、手打ちそば“藤村”)そして黒川温泉を有名にした一人の小笠原和夫さん(小国そば街道 戸無しのそば屋・山川草木・千年家)が門下生なのです。
そば打ちを習っても出石の皿そばの提供の仕方をそれぞれの地域に持っていくことはできません。そこで小笠原さんは黒川温泉で彼が展開したような素朴な田舎の店舗を構えて、かつて旅館で提供していたような山菜の煮たもの等を組み合わせ、新潟県のへぎ蕎麦の器に入れて提供している。
御所坊の関連宿泊施設、オーベルジュ花郷里の近くに温泉保養館おじろんがあり、ここの一階で“藤村”はシンプルなメニューで展開されています。オーベルジュ花郷里での滞在中の昼食にお勧めです。
?有馬温泉 陶泉 御所坊 “つるべ蕎麦膳”
御所坊の蕎麦は河上が宮崎県の出身という事もあり椎葉村の焼畑農法で栽培された蕎麦を使用(季節によって変動あり)そして枕崎の鰹節を使って汁をつくっています。
そして小粋な料理がセットされています。願わくはちょっとお酒を召し上がって頂きたいと考えた内容です。日本酒は丹波の小鼓を始め各地の銘酒を常時20~30種ご用意させて頂いております。
?“太閤さん蕎麦”なる商品開発中!
神戸ビーフや松阪牛の故郷の小代の牛を一番最初に評価したのが太閤さん。大阪城築城の時の事。その時に蕎麦屋も生まれた。この結びつきをメニューに出来ないかと考えています。冷たいそばと小代の高原で栽培された大根のおろし、そして牛肉の冷しゃぶ。
味の組み合わせは行けると思います。問題はどのような盛り付けが素敵かな?と考えています。冬場になれば肉蕎麦もありではないかと考えています。