蓮如上人 有馬温泉御所坊湯治記 

2013年7月5日 有馬温泉の歴史と文化, 陶泉 御所坊

はじめに

本願寺中興の祖、蓮如上人は文明15年8月29日~9月17日間に有馬温泉 御所坊に湯治に来られた。

その際に蓮如上人が来られた足取りを現代版で紹介したいと思う。なにぶんわからない事もありますので、お気づきの点があれば是非お教え頂きたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。

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御文(個人蔵真本)

文明拾五年八月二十九日、為湯治摂州有馬郡に下向す。

(山科本願寺は蓮如により文明15年8月22日(1,483年9月23日)に完成・建立されたので、一仕事終えた蓮如上人は1週間後に有馬温泉に疲れを癒しに来られたという事。現在の暦では10月初めから半月滞在された事になる)

在所は雍州宇治郡山科之内野村之里を早めに出、勧修寺おくるすを打なかめ、石田をとをり、こは田之地蔵堂を打おかみ、よと船をこいよせて、うちのり行程に、おりふし阿波静にして、伏見山をなかめゆき間、広瀬之里にそ船をよせて、其よりあかり、いそぎゆく程に、摂津国上郡御料所之冨田と云所に下着す。則此在所にて一宿して、あくれは晦日なれは、いそぎ有馬郡湯山へと志す。

(山科から少し北上して淀川の上流から船に乗り、現在の高槻市富田で一泊されたそうだ。接待をされたのは蓮如上人の父(在如)が建立した“富田御坊”と言われる本照寺教行寺と言われる。教行寺は蓮如上人が創建したと言われ“富田道場”と呼ばれ布教拠点として隆盛を極めた。蓮如上人はたびたび訪れ“蓮如上人腰掛石”と呼ばれるテーブル状の石が旧永照寺境内にある。)

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其道すからをいへは、中城惣持寺と云て、米たけの観音のまします寺を右に見て、其より大田河原之末を渡りゆき、ぬかつかのこしをとをり、福井か城を右にみ、同く宿井か城も右にみ、則、宿井河原をうちすきて、又池田かたちも右にみて、いそぎ行程に、石田の茶屋をとをりしかは、是や昔より聞します田之池とかや是也と、うちなかめしかは、心一に一首はかくそつらねけり。

『音に聞きます田の池をいま見れはつつみのかたちそれとのみしる』とかように思つゝけて行程に、いつのまにかは、いな河と云所につきて、是にてすこしやすみ、やかて舞谷と云在所をとをり、いそくとすれば、はや程なく、大たゝ河原を打ちすきて、なま瀬の波をして、船坂と云所へつきけれは、是よりは湯山へ一里とかやきけは、うれしくてあゆみいく程に、はや湯山もちかくなりて、岩坂にうちかゝり、やかて七坂八たうけをこえすきて、有馬之こほり湯山之御所坊と云う宿へそ下着し侍へりとて、かくそつゝけゝり。

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『岩坂や七坂八たうけこえすきてありまの山の湯にそつきけり』又云、

『さかこえてえにし有馬の湯舟にはけふそはしめて入そうれしき』

 

 

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