かつて有馬には、「眼洗湯」という名所があったという。
果たしてそれはどのようなものだったのだろうか。
明治18年の「有馬温泉誌」によれば、眼洗湯というのは別名「明目湯」とも呼ばれ、「上谷町」と「下谷町」の境にある「六地蔵」という所より少し南へ入った場所にあったとされている。
現在の一般的な温泉のように浸かる形式のものではなく、小さな井戸のようなところから湧き出るごくわずかな湯で眼を洗う、といった風に利用されていたようだ。
して、この温泉にはどのような効果があるかというと、「はやり眼」、すなわち結膜炎などの改善に効き目がみられたようだ。
実際、眼病というのは昔の日本人が患いやすい病気であった。料理に使う炭やかまどの煙、便所の臭気ガスなどが、眼に日常的なダメージを与えていたからである。
江戸時代、出島を訪れた西洋医師ツンベリーは、は農民の眼病の多さに驚いている。
時代が遡り幕末になっても、オランダの軍医ボンペが日本人の眼病の多さについて語っていることから、その厄介さが伺える。
そんなかつての日本人にとって、自らの眼を癒してくれる湯というのは大層ありがたい存在であったのだろう。
寛政八年(1796年)ごろに著された「摂津名所図會」によれば、その周囲は露店が立ち並ぶなどの賑わいぶりで、名所であったという事実を物語っている。
その主成分については不明であるが、「有馬温泉史話」によれば、有馬温泉本来の成分に加え、若干多量の塩分が含まれていたのではないかとされている。
それで眼を洗うと、こびりついたヤニなどを落として清潔になると同時にある種の爽快感を覚え、心身ともにポジティブな効果を得ることができたというわけだ。
この眼洗湯であるが、明治十八年(1885)の「有馬温泉誌」の記録を最後に、歴史から姿を消してしまっている。
「有馬温泉史話」によれば、郵便局の工夫詰所の床下に埋没されてしまったという。
おそらく、なにかしらの理由で湯が止まってしまい、人々が集まらなくなったのだろう。
長き歴史を持つ有馬温泉ゆえ、このように人知れず無くなってしまった名所も少なからずあるようだ。