有馬温泉のパワースポット巡りのまず最初は「金の湯」へ!
金の湯の前に飲泉があるので、先ずは一口味わって頂きたい。貧血気味の人には良いかもしれない。
ここ金の湯の場所は有馬温泉のアイデンティティといって良い。風水学でいう“明堂”と呼ばれる位置にあり、まさしく有馬の気の溢れる場所。そしてここは有馬の温泉が太古の昔から湧き出でていた場所だ。
仁西上人が平家の落人や吉野の木地師たちを連れて有馬温泉を再興にやってきたのが1191年。その少し後「明月記」によると藤原定家が1203年6月末に京都から船で淀川を下り神崎のあたりで一泊して陸路有馬へ約1日半でやってきている。上人湯屋に滞在して山奥の滝を見物し女体権現に参詣したと記載されている。
上人湯屋(又は上人法師屋・上人房)・湯口屋(本湯屋)・仲国屋(仲国朝臣湯屋)というもので上人湯屋は温泉寺直轄の上人房の事で御所坊のルーツといえる。いずれにしても現在の金の湯の所に泉源があり、その上に浴屋が建てられていて中央で仕切ってあった。温泉寺側が一の湯で御所坊は一の湯の西側にあった。御所という名は三代将軍足利義満の際に付けられたというが、1371年には既に使用されていたという。
話が少しそれたが、金の湯の飲泉は建物の裏手に泉源があり、地下16m下から41℃の温泉が用いられている。この湯が太古の昔からの有馬の湯で、現在の様な高温の高濃度の温泉は昭和30年以降に供給されたものだ。つまり太閤さんはこのような温泉に入っていたという事だ。
もう少し昔の一の湯、二の湯の記述をみると1452年瑞渓周鳳が有馬に湯治に来ている。その様子が、臥雲日件録や温泉紀行(五山文学新集四所収)に記載されている。
一の湯は二の湯の南側にあり、間口四間(7m20㎝)の湯屋に入るとそこが脱衣場になっており、階段を5~6段下ると湯室になる。つまり地面より1.5mぐらい下にいく。浴槽は1.5m×2.5m。石底から湯が湧出していた。当時は立って入っていたので、地下3mぐらいの所から湯が湧いていたという事になる。
金の湯には地下室があるが建設工事の時に現在の足湯の所から湯が湧いていた。昔の「太閤泉」と呼ばれる湯。太閤の湯殿館に行くとご理解いただけるが、湯殿館の場所でも400年の間に2mぐらい地場が上がっている。その事を考慮すると現在の金の湯の地下6m位の所が当時の浴槽の底という事になる。そして現在たくさんの建物が建ち雨水が下水に流れて地面に浸透しない為に地下水の水位が下がっている。それらを考慮すると記述通りといえる。
そして各地から有馬の薬効新たなここの湯に入る為に人が歩き、道が出来た。その為に有馬の町中の道は現在でも入り組んでいる。そして有馬温泉に来る為の大きな道が「湯山街道」とよばれている。